日本橋 ー ホテルかずさや、
おかげさまで創業135年。
おかげさまで創業135年。
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- 創業135周年記念誌
創業135年を
迎えるにあたり
明治24年(1891年)に上総屋旅館として創業したホテルかずさやは、令和8年に創業135年を迎えます。
これもひとえに、長年にわたる皆様の温かいご愛顧の賜物と、心より感謝申し上げます。
初代・工藤由郎は信州丸子(現・長野県上田市)に生まれ、養蚕業で財を成した後、旅館経営を志して上京しました。明治24年、当時の上総屋旅館を譲り受け、27歳で宿泊業を開始したことが、当館の歩みの始まりです。旅館自体は江戸時代から続いていたとも伝えられており、その名称も引き継がれました。
幾度かの災害を乗り越えながら、形を変えても日本橋の地で宿を営み続けてこられたことを誇りに、未来へと歩みを進めております。2018年には建替え工事を行い、2020年7月に新ホテルとして開業。客室数や設備を拡充し、日本橋ならではのホテルを目指しております。
本記念ページでは、創業の地・日本橋本石町(現 日本橋本町)の歴史をひもときながら、当館の歩みを振り返ります。
皆様とともに歴史を大切にし、次の時代へとつないでまいります。
令和8年1月吉日 代表取締役 工藤 哲夫
上総屋135年の歩み
| 一八六三年 | (文久三年) | 十二月二十日、初代 工藤由郎、誕生。 |
|---|---|---|
| 一八八九年 | (明治二十二年) | 九月十五日、二代 工藤誠一、誕生。 |
| 一八九一年 | (明治二十四年) | 初代工藤由郎、日本橋の上総屋旅館を買収し創業する。 |
| 一九〇二年 | (明治三十五年) | 火災のため全焼、直ちに再建し営業をつづける。 |
| 一九一八年 | (大正七年) | 十月十一日、三代 工藤誠太郎、誕生。 |
| 一九二三年 | (大正十二年) | 九月関東大震災により旅館を全焼する。 |
| 一九二四年 | (大正十三年) | 家屋の再建が完了し、営業を再開する |
| 一九三七年 | (昭和十二年) | 工藤誠一、二代目社長に就任する。 |
| 一九三九年 | (昭和十四年) | 初代 工藤由郎逝去。(享年七十六歳) |
| 一九四三年 | (昭和十八年) |
戦争激化のため一時休業。 建物は三井鉱山へ社員寮として貸し出す。 |
| 一九四六年 | (昭和二十一年) | 四月、営業再開。 |
| 一九四八年 | (昭和二十三年) | 三月、除隊後復職していた工藤誠太郎は勤めを辞めて、上総屋の経営に携わる。 |
| 一九四九年 | (昭和二十四年) | 三月、株式会社上総屋旅館に組織を変更し、工藤誠太郎が代表取締役社長に就任。 |
| 一九五三年 | (昭和二十八年) |
国鉄推薦旅館(後の日本観光旅館連盟)に加盟、 八月九日、四代 工藤哲夫、誕生。 |
| 一九五四年 | (昭和二十九年) | 日本交通公社(現JTB)と送客契約を締結。 |
| 一九五五年 | (昭和三十年) | 五月一日、工藤誠太郎、日本橋旅館組合長に就任。 |
| 一九五七年 | (昭和三十二年) | 十二月十六日、工藤誠太郎、東京都旅館環境衛生同業組合設立に伴い、副理事長就任。 |
| 一九六〇年 | (昭和三十五年) | 二代 工藤誠一逝去。(享年七十一歳) |
| 一九七九年 | (昭和五十四年) | 上総屋旅館の旧施設解体及び新築工事開始。 |
| 一九八〇年 | (昭和五十五年) | 新館完成 ホテルかずさやオープン。 |
| 一九八二年 | (昭和五十七年) | 一月二十九日、工藤政幸、誕生。 |
| 一九八三年 | (昭和五十八年) | 五月二十一日、工藤健二、誕生。 |
| 一九八八年 | (昭和六十三年) | 五月、工藤誠太郎は東京都ホテル旅館環境衛生同業組合理事長に就任。 |
| 一九八九年 | (平成元年) |
五月、工藤誠太郎は全国旅館組合連合会・副会長に就任。 八月、工藤哲夫は常務取締役として経営に携わる。 十月、ホテルのCI実施、併せてニレーヌへ改名。 |
| 一九九〇年 | (平成二年) | 十一月、工藤誠太郎勲五等瑞宝章叙勲。 |
| 一九九一年 | (平成三年) | 九月、上総屋創業百周年。 |
| 一九九三年 | (平成五年) | 八月、工藤哲夫、四代目社長に就任する。 |
| 二〇一五年 | (平成二十七年) | 四月、三代 工藤誠太郎逝去。(享年九十六歳) |
| 二〇一八年 | (平成三十年) | 六月、かずさやは新築工事のため、営業を休止。 |
| 二〇二〇年 | (令和二年) |
六月、新ホテルの竣工。 工藤哲夫は東京都ホテル旅館生活衛生同業組合理事長に就任。 七月、新ホテルのオープン。 |
| 二〇二一年 | (令和三年) | 上総屋創業百三十年。 |
| 二〇二三年 | (令和五年) | 十月、工藤哲夫旭日双光賞叙勲。 |
| 二〇二六年 | (令和八年) | 九月、上総屋創業百三十五年。 |
四代
工藤 哲夫
(昭和28年8月9日生まれ)
三代
工藤 誠太郎
(大正7年10月11日生まれ)
二代
工藤 誠一
(明治22年9月15日生まれ)
初代
工藤 由郎
(文久3年2月20日生まれ)
ホテルかずさやと日本橋の歴史
ホテルかずさやと江戸文化の華を咲かせた「耕書堂」
ホテルかずさや付近には、常盤橋門より東へ延びる 江戸一番の繁華街である本町通り(旧日光街道)がありました。
この通りに面した「通油町」と呼ばれる所に、かつて 「蔦重(つたじゅう)」の名で親しまれた蔦屋重三郎が 店を構えた「耕書堂」がありました。「耕書堂」は単なる 本屋では無く、出版も手掛ける版元として文化発信地であり、知識や芸術を広める拠点として大きな役割を果たしていました。
出版人・蔦屋重三郎とは
蔦屋重三郎は、その卓越した才覚と先見の明によって、江戸の中期から後期にかけて、江戸出版界において不朽の足跡を残した人物です。
安永2年、吉原にて地本問屋として活動を始めた彼は、遊女の姿や評判を紹介する『青楼美人合姿鏡」を皮切りに、黄表紙、酒落本、狂歌、絵本、さらには浮世絵の中でも特に人気の高かった錦絵に至るまで、実に多彩な出版物を世に送り出しました。
彼の出版物は、庶民の生活や風俗、文化を鮮やかに映し出し、大衆の支持を集めました。天明年間には、日本橋本町通りに進出し、より広い層の読者を獲得。
柔軟な発想と揺るぎない意志で革新的な出版を次々に手がけ、江戸出版界の発展を力強く牽引する存在となりました。
蔦屋重三郎と江戸の文化人たち
蔦屋重三郎は、数多くの著名人と深い交流を持ちました。 浮世絵師の喜多川歌麿や狂歌師の山東京伝とは親しい関係にあり、蔦屋重三郎が発行した出版物には彼らの作品が多く取り上げられています。また、文人や学者とも交流があり、蔦屋重三郎はその知識と教養を活かして江戸の文化を発展させました。
相関図を通してそのネットワークの一端をご覧ください。
ホテルかずさやと吉田松陰 ー歴史が息づく日本橋
ホテルかずさやの近くには、伝馬町牢屋敷跡である十思公園があります。そこは幕末の動乱期、安政の大獄で吉田松陰や橋本佐内、梅田雲浜等が収監され命を終えた場所です。
吉田松陰は、幕府の体制が揺らぎ始めた時代に、若者たちに情熱と思想を注ぎ込んだ教育者でした。彼が主宰した松下村塾では、後の明治維新を担う多くの志士たちが育ちました。
伝馬町牢屋敷は江戸時代最大の牢獄で、罪人の収容だけでなく、取り調べや処刑も行われた場所です。幕末には多くの志士がここに送られ、松陰もその一人でした。
現在は公園として整備され、歴史を静かに伝えています。
また石町の「時の鐘」も現在この公園に保存されております。
日本橋 - 「文化」と「知識」の交差点
「蔦屋重三郎」と「吉田松陰」その接点とは?
蔦屋重三郎が本というメディアを通して民衆に新しい知識を届けたように、松陰は直接人と向き合う教育を通じて、次代を担う人材を育てました。時代も手法も異なりますが、共に「知識と思想の力」で社会に変革をもたらそうとした点で、二人の姿はどこか響き合っているようにも感じられます。
そして興味深いのは、この二人の活動や人生の節目が、いずれも「日本橋」と深く関わっていることです。蔦屋重三郎が文化の拠点とした耕書堂は、まさに書物の流通と知の発信地として日本橋に位置し、多くの出版物がこの地から世に送り出されました。
一方、吉田松陰がその志を貫いた末に命を落としたのも、また日本橋の地、伝馬町牢屋敷でした。ここで彼は最期まで思想を語り、未来の日本を託して短い生産を閉じました。一人は民衆へ知を広め、一人は命をかけて信念を貫いたーその交差には、時代を超えた「言葉の力」が刻まれているのかもしれません。
同じ日本橋の地に、私たちホテルかずさやは創業以来135年、江戸の精神を受け継ぎながら「心和む温かいおもてなし」を大切にしてまいりました。変わりゆく時代の中で、お客様の安心と快適を守りながら、地域と共に歴史を紡いでまいります。
伝統と革新を融合し、「また来たい」と思っていただけるくつろぎの時間と空間を提供することーそれが、今も変わらぬ私たちの使命です。
ホテルかずさやからのメッセージ
令和8年(2026年)に創業135年を迎えられることは、これまでご愛顧頂きましたお客様のお陰と深く感謝申し上げます。
明治、大正、昭和、平成、令和と時代は進み、上総屋のみならず、日本橋の街も大きな変化を遂げました。
ホテルかずさやは、時代の変遷を感じつつ、また将来を見据えて新しいサービスを考え時代の要請に答えてまいります。
どうか、これからも末永くご愛顧を賜りますようにお願い申し上げます。
現在の「ホテルかずさや」外観